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ヌード


いつも人物の会がお世話になっている施設

飯田創造館(長野県の公共施設)では文化事業が盛んです

そのひとつに人物講習会があります

ほとんどの場合裸婦講習となります

地方ではヌードモデルは気楽にお願いできません

東京なりの専門の事務所を通してお願いすることになります

モデル代と手数料と旅費と宿泊代が必要になり

それなりの出費になります

ですから

個人や数人のグループで勉強会を行うには負担が大きすぎ

気軽に裸婦を描くチャンスはなかなかありません

ところがこの飯田創造館では年に何回も講習会を企画してくれます

ありがたいことに会費はとってもお安くしてくれて・・・・・

毎回30人以上の方が参加されて頑張っているようです

なのに!土日開催であるため私は最近ほとんど参加できません

至極残念な思いです

なぜ裸婦が取り上げられるのでしょうか?

明治大正の先駆け洋画を目指した先人たちは

フランスに留学しました

フランスでなければ洋画を学べない時代でした

当時、フランスではアカデミックが主流で

写実の基礎訓練が美術学校の基本でした

これはギリシャに始まりを置く人間アカデミーが作りだした

美術学習の手本とされた学習方法です

人体を理想の神とあがめるギリシャに倣って

人体、裸体を最高の美と定め美を学ぶために行われていたのが

人体デッサンです

ギリシャの神々になぞらえられ

理想としての人間像が描かれています

いつの間にかデッサンは裸婦という定義が生まれました

フランス美術学校では毎日裸のモデルが教室に立ち

それを真剣に描く学生、画学生がテレビなどで紹介されます

日本の美術学校でもほとんど裸婦を前にした授業が多く行われています

その頃の日本では裸婦を目にすることはまれでした

今は若い女性が肌をあらわにすることは日常的です

テレビや写真集などでは大ぴらにヌードが表現されています

これはひとえに平和がもたらす出来事です・・・

女性がきれいに自分をアピールできるにはその国の治安が影響されます

その意味では今の日本はまだまだ平和です

ですから裸婦をモデルにした勉強会の意味はどこにあるのでしょうか?

現代美術を唱える人々にとってアカデミズムは否定されるものです

当然裸婦講習会などは美術の基本を学ぶものではないと反発されています

でも、裸婦は美しいですよ!

ギリシャの哲学をひもとかなくても

男性から見る女性の体は本能的に魅かれるものです。

ここに描くことのモティーフが生まれると考えられます

時代を超えて人類を超えて、生命の根源に関わるモティーフがあるといえます

単なる描画技術の獲得以前に美を求める本能が衝動的に描かせるはずです

そこを考えないと単なる人体描写になります

人物を描くための特殊な技術の習得になります

骨格がどうだとか?筋肉がどのようになっているとか

まるで理科室の人体見本を描くような教室まで出てきます

写真がなかった時代には「絵描き」は真実を移す職人でした

見たままを正確にとらえ、描く職人として

技術者として地位も名誉もありました。

昨今、そのような技術は当たり前であり

写真の進化により外観を正確に写すすべは絵描きの仕事ではなくなりました

でも、写実は存在します

写すのではない!ほんとうの実を写し取る!!!!????

写実の哲学をもう一度考え直す時期に来ていると思われます

ここで紹介するヌードは何年か前にほかのブログで公開しました

そのブログ「眠りに誘われて」の中で一番アクセス数が多いものが

このヌードシリーズブログです。いまだに一位です


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