青春
おっちゃんと彼女は私のことを呼ぶ おっちゃん、と カーネーションの糸子と同じようだ 無理もない、彼女は大阪生まれだ!
小学校4年の時、父親の転職で伊那谷へ来た と言っても両親とも飯田生まれだ! だからもともと伊那谷っ子でもあるのに 私のことを《おっちゃん》と呼ぶ
彼女が小さい時私は東京で絵描き勉強をしていた だから小さい時には東京のおっちゃんと呼ばれていた 妙に響きのいい呼び名だった 伊那谷のおじさんではなく東京のおっちゃんがおしゃれぽカッタ
小さい時から人が好きで大阪だからなおさら人の中にいることが好きだった 周りの人にすぐ仲良くなれる素質があった 大人の中にいてもなぜだか自然だった 顔かたちが飛びっきりの美人ではなかったが 自分で美人の0000と呼んでもいるくらい明るい子供だった
小学校4年の春、伊那谷に転校する めちゃ!の大阪気質のまま学校に通っていたら おめえ!なまいきだな!といじめにあった いじめの相手は男の子達だった
彼女が始めて受けた経験だった しばらくは学校へ行くことを嫌がった、怖いと言って おそらくこれは私の経験上の話だが男の子が興味を彼女に持ったのだろう 母親が気づき担任に相談した 担任も事情を察しそれとなくクラスで話してくれた でも嫌がる彼女に、母親はそんな男の子は気にするな 自分であればいい、と勇気付けた 大阪弁でいいからどついてやんねんと
彼女は幼いながら男の子達に立ち向かっていった・・・・・
その後の彼女にはたくさんの友達がいつもいるようになった 私のおどろきはその多くの友達の半数はいやそれ以上が男の子達だった 高校生になっても相変わらず男の子達と連れ立っている彼女がいた
高校生のとき人物の会でもモデルをお願いしました そのときの作品です もちろん未完成です。が このままでもいいのではないかと思うようになって来ました 彼女の青春の1ページとして・・・・・・・・・
音楽に興じたり、演劇にはまってみたり
かなり充実した、先を行く【私などから見れば
高校生活をエンジョイしているように見受けた
この絵の中にもそんな彼女のすばらしさが輝いている
描いた私でも気づくことが出来なかったように・・・・・
絵描きは基本的には見ることの鏡だ
そこにある物事を正確に見つめ描き写す
だから絵の中にはおのずとそこにあるすべてが
けっして表面では見えないものまで
描かれることになる
本人も知らない間に・・・・・
その意味では一瞬を移す写真とは違うものだと思う
描く時間の積み重ねがモデルの人生を描き写し
何層にも重なって厚みになる
絵の深さ、いつ見ても新しい発見があるという
絵に対する評価はそのようなところから
生まれてくるのだと思う・・・・・
近年、超写実といわれる作品がもてはやされている
見ることを徹底して生まれてくる作品だ・・
写真以上に描写が鋭く、見えないところまで
描き出そうとする迫力がある
何人かの作家には・・・・・
がスタイルだけの超写実作家も多くなった・・・・
流行といえばそれまでだが
本人が苦しいのではないかとかえって心配になることがある
超写実できる何人かは言ってみれば変人だ!!
もちろん一般人にはない才能と個性の持ち主だから
そのこだわりと追求心と細密描写の技術が生まれる
人間技としてはなみたいていのことではない・・・
一般人がこれをつづけることは
身体を精神を犠牲にしなければできないだろうと
思われるほど過酷なことなのだ
だから世間でも評価され人気が至極当然のことだといってよい
ごく一部の人においては…といっていいと思う
表現はどこからでも生まれる
その良し悪しは別にして・・・・・・
でも一番大事なことは表現している本人が
表現していく過程の中で新しく
うまれているかどうかではないだろうか!
創造とはまさに人間がその可能性において
新しく生まれていくことになると考えたい。